泊れない旅館 きんせ

2009年末に、人知れずひっそりとオープンしたカフェ&バー「泊れない。きんせ旅館」を紹介します。



店内の様子


 とある夕刻、村上椅子さんから一本の電話がありました。
使われなくなって久しい古い宿を改装してカフェをしたいという人がいるので紹介して下さるとのこと。

場所は、京都は嶋原だということでした。
嶋原、と聞いてピンときた方、そうです、泣く子も黙る山村美紗の「京都嶋原殺人事件」の嶋原です。
・・・他に思いつかなくてすみません。

嶋原とは下京区に位置する花街の名称で、室町時代足利義満が公娼地として認めた日本で最初の花街です。
明治以降は公家や武家の常連客がいなくなり、昭和後期には、お茶屋組合が解散したため、現在はほぼ普通の住宅地となっていますが、
それでも当時の名残が点在する不思議と面白い地域なのです。



そんな嶋原の「古い宿」とは聞いていましたが、古い旅館にも色々ありますので、あまり先入観はもたずにお邪魔しました。

そして到着。
こ、これはっ! と、背筋が伸びました。予想以上に風格のある建物です。なるほどこれなら事件が起きても不思議ではありません。



旅館の外観


中に入らせていただき再び驚きました。外観からは想像もつかない伸びやかな和洋折衷の大空間。
折り上げ天井の高いダンスホールに、ハイカラなステンドグラス。いつの時代かの栄華を感じさせるどっしりと存在感のある家具や装飾品。
いよいよ怪し・・いえ、素晴らしいです。こんな雰囲気の場所がまだ京都に残されていたとは。いやもっとあるんでしょうけど。



エントランスホールから二階への階段
後から加えたであろう赤い絨毯が少しもの寂しさを演出中



古くからの色んなものが置いてあります


早速クライアントの安達さんを紹介して頂き、聞き込みを始めます。
どういう経緯でこちらにいらっしゃるのですか。
「元は祖母が旅館を経営していたのですが、20年前にやめてしまいまして、その後に・・(略)」
当日のアリバイはありますか
「あります。」

などなど、こちらの不躾な質問に対しても、穏やか且つ丁寧に答えて下さいました。
安達さんは柔らかいく不思議な雰囲気をお持ちの方でして、こういう方のお店は独特の面白い時間が流れるんだろうなあ、と感じてきました。
建物を褒めてみます。
しかし魅力的な空間ですねー。
「そうでしょう。何もしなくてもそのままお店が出来るかなと思います。」
わ、もう事件解決ですね。・・・。帰りましょう、ヘイスティングス

「いやいや(笑)、色々と設備の問題もあるし、このままではお店にならないので何をどうしたらいいものかと。」

!そうですよ、このままじゃオープンは出来ません。是非この空間を活かした・・いやむしろ、この空間に活かされるようなお店にしたいですね。

というわけで、一番古い部分で築250年の老舗旅館の一部をカフェバーとして蘇らせることとなりました。よろしくお願いします。

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このような古いながらも手の込んだ空間に身を委ねていつも感じるのは、当時の職人さんの技術の素晴らしさはもちろんですが、今なら職人が嫌がるような面倒で複雑な作業を、きっと楽しみながら作ったんだろうな、ということです。
そして、現在では入手が難しいような材料、珍しい木材とか石とかがふんだんに使われていることも多いので、此の度も指をくわえながら眺めます。


こういう空間に現在の素材や設備を持ち込む時には、どうしても違和感が出やすいので、それをなんとか抑えようとするあまり、素材感や色などの見た目に意識が集中しがちになるのを上手くバランスをとって全体から考えてやらなければなりません。

逆に、わざと現代的なものを配してそのギャップというかコントラストを楽しむという手法を取る場合もあるでしょう。でもそれは我々が好む方法ではありません。

しかし幸いにも、この「きんせ旅館」や安達さんと触れていくと、この豊かな時間や空間や人に無理して新しい価値を加えるべきではないと自然に感じとれました。

確かに厨房やバーカウンターは作らなければなりませんが、
可能な限り、昔からそこにあったかのように。

新たに特別なデザインの仕事をした、と感じさせないように・・・。よし。


「・・・安達さん。我々は、何もすべきでない、という結論に達しましたので、お店はやらない方向でいきましょう。」
「ええっ!?」
冗談です。

かように、いつにもましてゆっくりとした時間を楽しみながら、デザインや工事を進めることが出来ました。
クライアントの安達さんとも共に作業したりして、まるで何かの復旧作業に携わるかのように、そこにあったものを発見しようとするかのように作り上げていきました。



エントランスの床のモザイクタイルを貼っていく作業



カウンターに使うレンガタイルは赤みが強かったので、ある液体を擦り付けて煤けた雰囲気にします



それを重ねて張っていきます。



完成したバーカウンター。厨房部分を暖炉に見立ててのデザイン。
カウンター天板は樹林舍さんに加工して頂きました。



バーカウンターの椅子は安井悦子の作



朽ちていた椅子やソファも村上椅子さんによって蘇りました。



完成した店内 広々としたホールが気持ちよい



客席数も少なく、非常に贅沢な作り



随所に歴史を雄弁に物語る空間で、ある種の郷愁を誘う、貴重なカフェバーです。

もう既に我ながらどの部分をデザインしたか、手を加えたかを忘れつつあるような感覚に陥っています。
これは気持ちのよい体験でした。仕事をしたのも何もかも遠い昔の出来事のようで、もう長くからそこにあったように皆さんにも感じてもらえたら。

本当に良い出会いをありがとうございました。
そのことも忘れつつありますので、安達さん、今後もよろしくおつきあい、お願いします。

皆さんも是非この空間を発見して楽しんで下さい。


一級建築士事務所expo 山根